同位体論文

改訂稿を勢いよく投稿。


名無し論文
レビュー


共著者との関係について昨日いろいろと考えましたが、また違う見方もあることに気が付きました。昨日は、それぞれが独立に作業している場合を想定していて、どの程度の労力を自分がして、共同研究者に期待するかということを考えていました。もう一つの、きっとより良いであろう関係の一つは、一緒に作業をするということだと思います。ここはこうだろう、そうじゃないだろうと議論しながら教えながら(教えられながら)進めるというやり方。自分で考える努力は減りますが、それとは別に学ぶことも多いはず。そのほうがきっと効率的ですし、楽しいこともあるかもしれません。時間の制約もあるかもしれませんが、二人なら何とかなるでしょう。そう思ったのは、ウッドストイックに参加して、数日で原稿を上げるということを経験したから。楽しかったし、スカイプで議論して互いの宿題にするというやり方よりも、ずっと効率良かった。


そういう共同研究もまたやってみたいのですが、その場合、誰もがその時間をその一つのことに捧げなければいけません。そういった一体感が必要だと思うのですが、一つのテーマに自分の時間を費やすということがなかなか難しい事情もあります。興味が合致して、労力を投資できるタイミングも合わないといけない。人間関係も関係あるでしょう。そういったものがないと、独立に作業することになるわけですが。でも、それが効率良くないとすると、囚人のジレンマみたいな感じになるのだろうか。自分の作業を止めて、共同研究に集中してまとめるほうが長い目で見れば良いのだけれど、目先のアウトプットを見て、自分の作業をしたり他の人に作業を回したり。で、全体の生産性が落ちる。こういうのを、ここでは共同研究の社会的ジレンマと名づけよう。とかなんとか。